(2024-04-07)
星新一の『おのぞみの結末』を読む。最初の短編の序盤で女が二人登場するシーンがあるのだが、「この二人は、絶対にロボットだ」と確信して読み進めていたら、案の定、本文にそう書いてあった。星新一の書く文章の凄いところは、ボキャブラリーに対する内容の深遠度の比率が高いところである。真似して書こうと思っても、私には到底書けそうにない。これだけ語彙が優しくて読みやすいにも関わらず、内容や話の展開が極めて深遠で面白いと思った作家の文章を、私は他に見た試しがない。たいてい、作家(特に評論家など)は「わかりやすい」ことを「わかりにくく」書く。「どうして、こんなに難しい言葉や言い回しを使い、さらにわかりにくく書くのだろう」と思うことが、本を読んでいると時々あったりする。簡潔に言えば、親身がなく、真心がこもっていないのである。(悪口ばっかりで、すんません。)別に、私は普段全く使わないような語彙や専門用語が使われていることや、その筆者の表現方法の独自性のことに対して悪口を言っている訳ではない。私が言っているのは、論理的な瑕疵がちらほらと見え始めたときに憂いてしまう、ということである。ある「脳科学」をテーマにした本では、経歴に「医者」とある筆者たち五人が書いた文章が掲載されていたのだが、「最近の研究では〜ということが科学的に証明されています。」という文言の、これまた多いこと多いこと。医者という立場であり、尚且つ本を書くという著者の名において「〜が証明されています。」と書いておきながら、その出典を示したり具体的な研究内容については一切触れたりせず、突然に飛躍した結論に到達するというのは、どういうことなのだろうか?(その本では、なんと本の著書のプロフィール欄に五人の筆者の経歴がしっかりと書かれていたにも関わらず、本文中に健康法を読者に薦める過程において研究内容を示す箇所がなんと「坊主」であった。いわんや、参考文献のページなど皆無であった。これは、著しく「贈与論」に反していることなので、私は極めて不快になるのである。この本を読んでわかったのは、「『そういう人』でも本が書けてしまう世の中なのだな」ということ、そして、「『そのような本』でもベストセラーになることがあるんだな」ということである。実際にこの本は駅構内にある書店で大々的に展開されていた。とほほ。
私が書いたものに対して、先程書いたことと同じロジックを適用してくる人がたまにいるが、私が書いているのはただの「お話」である。自分なりにルールは決めているつもりでいるが、基本的に書くことは自由である。決めているルールとしては、例えば、私は過去に書いた文章も含め、ネット上にアップしたものについては「書いた内容には責任を持つ」ようにしている。もし、私が書いた文章を読み、誰かが傷ついたのであれば私はその人に素直に謝りたいと思う。私がこれまで書いてきた文章について、誰かから「傷ついた」と言われたことは一度もないが、それは私が(生まれて初めてネット上で発言した時から)誰かを「固有名詞的に」陥れようとしないように努めていたからだろう。同様に、「話し言葉」をなるべく使わないようにして「言いたいこと」を文章で書いてきたからだと思う。(たぶん。)
基本的に書くことは自由である。この「自由」というものは、よく考えると非常に厄介な代物ではあるが、私は「読みたい人」に読んでもらえればそれでいい。他者が私の書いたものを読み、どのような評価を下しても(たとえそれが非難という名の下で押された烙印だったとしても)、私はその評価を受け入れる心づもりでいる。「書かれたものを評価するのは『読み手』のほうである」とある時から思い始め、後に私は多くの大人たちからそのことを教わった。
私としては、今後、「『文章』で世の中に対して教育的にいい影響を与えることは可能であるか」、「もし可能であるとしたら、若者や子供たちのような『次世代を担う者』たちに、どこまでいい影響を与えられるか」といったことについて考えてみたいと思っているので、もう少ししたらSNSでの投稿は控えて、代わりに自分のブログを開設し、そこに書いた文章をアップロードしていくつもりである。
おっと、このままででは、この文章は「おのぞみの結末」にはならないので、もう少し話を先に進めよう。
さて、この文章を読んでいるのは相当マニアックな人だと思うので、ここからはその「超少数民族」な人に向けて書いていきたいと思う。(超少数民族とはなかなか面白い言葉である。)
私が担当したことのあるご家庭の方が聞いたらびっくりするかもしれないが、これまで私は家庭師を好きでやっていた訳ではない。(「やっていた」と書いたが、実際は今もしている。)
私が家庭教師を始めたのは、単純にその類のバイトに応募して採用されたからであるが、応募した動機は「時給が高かく、しかも勉強しながら教えられる」という、当時の大学生にはよく見られるものだった。大学受験を終えて大学生になり、しばらく私はそれまでの受験生活で「やり残したこと」に対して、時間を見つけては取り組んでいた記憶がある。実家を出て埼玉で一人暮らしを始めようとしたときに、これまで使ってきた教科書を一人暮らしのアパートに持って行こうとした。すなわち、小学校入学時から高校卒業までの教科書・ノートの学習教材の全てを持って行こうとしたのである。しかし、実家では、どこを探しても当時の小学校や中学校時代に使っていた教科書等はなかなか見つからなかった。一生懸命に家中を探し回った結果、わずか数冊の非常に汚れた「小学校5年・算数」などとと書かれた教科書があるだけだった。故に、私は大学に入学して早々、小・中学校の全学年の国語・算数・英語の教科書を一括で買い、学年の低いものから順にコリコリと読み始めたのである。買うときには教科書を取り扱っている場所をインターネットで調べていたが、広島の書店に全学年の教科書を一括で買えるところがあったので、そこに注文することにした。その日は、購入ボタンを押した直後に「一括で買うと、バラで買うときよりもかなり安くなるんやな」と新たな発見があった一日であった。
なぜ、わざわざこんなに大量に一括で購入したのかというと、それらの「受肉化」が私の当時の「やり残したこと」であったからである。
どちらかと言えば、私は受験というものに失敗している側の人間である。全国模試での志望校の合格判定の記入欄に、高三の冬まで第一志望に東大を記名し続けてもずっとE判定であったし、実際の受験直前には東工大に志望校を変えて受験したが、受験当日はなんと得意の数学が全くできなかったのである。結果として、前期試験で不合格となった。後にその大学から送られてきた得点開示の用紙と実際の合格ラインの乗った赤本を見比べると、数学以外の科目は「合格レベル」に達していたと言ってもよかった。しかし、惜しいかな、試験会場では得意だと思っていた数学の試験中に手が全く動かなかったため、得点が低くなった。私は推薦入試というのを受けたことがないので、一般入試を受けたことのある人と同じような「受験期の雰囲気(どんな対策をするかとか、どこ科目ではどのくらい得点を取らないといけないかとか)」しか知らないが、大学受験を通して「自分の頭が決して良くはない」ということだけははっきりと自覚することができた。結局、大学受験の後期試験で受かった埼玉大学に進むことになったのだが、今振り返ると「絶対に行かないだろう」と思って適当に書いた大学の校舎で私は学ぶことになったのである。当時の大学受験の出願時、私が後期受験で受ける大学の選定基準は適当で、初めは山梨大学のシャンパンが学べる学科(「なんか、ここがよさそうだな」と直感的に思ったのである。)に行こうと思い、既に出願用紙に鉛筆で大学名と学部・学科まで書いていたのだが、実はその時、少し迷っていた。山梨大学と埼玉大学での二者択一に迫られていたのである。センター試験直後での合格判定はどちらもAである。(一般入試を受ける受験生のほとんどは、後期試験だからどうせ受けないと思ってこのような「A判定を書くだけ」の状態になってしもうものなのである。)私は、両親から「高校・大学に行くなら、国公立のみ」と高校受験時代から言われていたので、私立高校や私立大学は受けても行かないことになっていた。私は小さい時から一刻も早く「この家から出ていきたい」と思っていたので、出身の鹿児島県以外にある国公立大学に行くことだけは自分の中で「確定」していた。大学時代の4年間ぐらいは東京周辺でぶらぶらしたいなという安易な考えで都内の国公立を志望校にし、受験直前まで勉強していた。センター試験が終わってから一週間後、ある校舎にあったトイレで用を足していると隣に例の日高くんが並び、用を足す時間が重なったときがあった。その時、友達の日高くんに「後期の受ける大学、決めた?」と聞かれた。私は「山梨(大学)と埼玉(大学)で迷ってるけど、どっちも東京に近いから山梨にしようかな」と答えた。そしたら、彼は少し笑って「お前、それ絶対埼玉のほうが東京に近いじゃん。東京に近いほうがいいなら、絶対埼玉のほうがいいって」と言った。このときは、彼が何を言っているのかわからなかったが、簡単に言うと私のそのときの頭の中の地図では「山梨から東京へ行くのと埼玉から東京へ行くのとではどちらも同じぐらいの距離にあり、同じくらいの時間がかかる」と思っていたのである。今では流石に、関東の電車を一通りは乗りこなせるが、当時は社会の選択科目で地理をとっていたにも関わらず、その地理的な感覚に疎すぎたのである。ここからわかるのは、実に「決して応用ができないような学び方」をしていたということである。(そりゃー、あかんわ。)まして、関東の交通網に関することを自分で調べようともしていなかった。(そりゃー、もっとあかんわ。)当時の私は、実に典型的な、世の中を知らない「田舎者」であった。周りからもそう見られていたのだろう。出願する直前になって、日高くんからもう一度、「お前、埼玉(大学)受ければいいじゃん。その方が東京近いし」と言われ、そうなのかと思って出願書類に書いてあった後期受験の大学名の記入欄を全て書き換えた。(そのときは、本当に「まあ、どっちでもいいか」という軽い気持ちだった。これからどうなるのだろう、という不思議な予感がしていたのも事実であるが。)受験生のときは、「受験書類は最初に必ず下書きをするように」と指導されていたので、案の定、私も下書きを鉛筆でしていた。そのため、書類のことで大騒ぎしなくて済んだ。その時は「こういう時のために鉛筆でわざわざ書くのか」と、学びの窓が受験最終期でさらに一つ開いた瞬間でもあった。(今では、巷で「消せるボールペン」も売られるようになっているが、それを使って受験などの書類を書いたらどうなるのであろうか。独立行政法人に属している方に是非とも聞いてみたいものである。)実に、鉛筆で転がして決めたような大学の入り方であった。
日高くん、今度会ったらまた近況を聞かせてください。こちらは、君の「アドバイス」のおかげで埼玉大学に行き、その行った大学の近くにあるとてもおいしいインドカレーの店に偶然にも出会いました。このお店は、カレー・サフランライス・ナン・サラダ・チキン・ドリンクのどのメニューをとっても、他の店の中で右に出るものは一つもないと言い切ってもいい(現時点でだが)ぐらい最高のお店なのだよ。さらに幸運にも、家庭教師先のいくつものご家庭と「ご縁」ができて、指導後にはそのご家庭の車に乗ってみんなで楽しくインドカレーを食べるという、「インドカレー案内人」になってしまいました。今度連れて行くので、たまには関東に遊びに来てください。
さらにその後、二つ以上のご家庭の日程調整をしてそのご家庭同士と私を合わせた「大集団」でインドカレーのお店に押し寄せるまでになった。どうやら、インドカレーには人を繋げる力があるらしい。私が担当した生徒の七割は、指導が「終了」する頃には「大のインドカレー好き」になっている。
「ね、インドカレーっておいしいでしょ」
そう言ってインドカレーの魅力を紹介しながら、初めてインドカレーを食べるその子の前で特大のナンをちぎってカレーにつけて食べる瞬間は、味がさらに濃厚になる。(いつも世話になっているご家庭の皆さん、またインドカレーに行きましょう。もちろん、皆さんの分も私が持ちますよ。)
夜になって、あるご家庭から相談の電話が鳴る。家庭内では「母親」として日常を営まれている女性からの着信である。
「うちの子が、始業式早々、学校を休んでしまったんです。どうしましょう、先生。」
色々と話を聞き、「なんとか明日は大丈夫そうでです。ありがとうございました」と電話越しに言われ、一件落着する。これまでご家庭の「お父さん」や「お母さん」と話してきてみて感じるのは、一人の人間として関わるのであれば、話すときにはあまり年齢差を気にしなくてもよいということである。そのため、私はいつもご家庭の方と話すときは気軽に話している。(ありがたいお話である。)そして、馬の合う人に出会う確率が年々高くなっている(気がする)。
一つだけ最後に述べて、この文章を締めることにする。ここからが私の「おのぞみの結末」である。
相談するときのある「発言」についてである。
ときどき、相談してくる方のうち
「私、こういうとき、どうすればいいかわからないの。先生。」
と焦らしたような言い方で仰る方がいる。
こう電話で言われても、こちらも返す言葉は全く同じである。あの、世の中のお母さま。このセリフ、もうちょっとなんとかなりませんかね。(もちろん、これを読んで心当たりがあり、かつギクッとした人に向けて言っているのである。そう、あなたですよ。あなた。そこの、あ・な・た。)
どこかで読んだか、誰かが言っていたか、テレビで見たかは覚えていないが、そのようなことを「口真似する」というのはタイミングによっては極めて有用なのかもしれない。直前で書いた「あなた」の書き方はどこかの小説で読んだ気がするが、全く思い出せないので困ったものである。
昨日も、夜遅くまで知り合いの方の「お話」に電話で付き合った。私よりも何十年も年上の、子供を育てている女性である。内容としては、なんとか抱えていた「問題」を解決できた、とのことである。相談されても特に的確と思えるアドバイスができそうになかったため、こちらはただ話を聴いて、全然関係ないことで楽しくおしゃべりしていただけなのであった。、だから、先方に対して特に何かをしたわけではない。人から何か相談されても、私は九割ぐらいはそんな対応なのである。このような「適当な」性格を直す方法があったら、ぜひとも教えていただきたいものである。
とりあえず、めでたし、めでたし。
このような相談やおしゃべりの「締め」の挨拶の定型句として、いつかは相談の主に対して一言だけ言い添えてみたいことがある。
「今回はなんとか切り抜けられたよかったですね。こちらもなんとか(この「相談された件」の解決への貢献ができたようなので、)切り抜けることがました。旦那さんにも同じような口調で、同じようなトーンで、同じことを話してみれば、きっと喜ぶと思いますよ。」
このような発言は、今は「失言」と揶揄されるのであろうか。
「早速実践してみた結果、夫婦の仲に波風が立った。どうしてくれるのか」と言われても、私はその荒波に対して責任をとるつもりはないので、悪しからず。ちなみに、私はこの報告を、これまで生きてきて一度も聞いたことがない。
(2024-04-07)