伊地知のコモンズ=センス

『体験格差』について


今日、きれいな女性から「次世代を担う『子供』たちへ」を読んだ感想をいただいた。(今日の夕方に、保育士の女性の方からLINEでメッセージが届いていた。)
内容を確認すると、なんと私が先日書いた「次世代を担う『子供』たちへ」の文章を読んだ感想が書かれていた。

あら、、、
こんなまだまだ未熟で幼い青年の文章を読んでくれるきれいな女性がいらっしゃるなんて、、、

ありがたいものである。

今まで、こんなにきれいな女性から長い感想をいただいたことはなかったので、ちょっと感動して泣きそうになってしまった。。

そのいただいた感想を以下に掲載して、皆さんにもシェアしたいと思います。

(Mさんからいただいた感想)
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【次世代を担う「子ども」たちへ】
『体験格差』(今井悠介著、講談社現代新書)
の感想です。
経済格差(親の収入の格差)によって、体験格差(子どもができる体験。主に、習い事とか旅行とか、お金がかかること)が生じるというのは、確かにそうかもしれないと思います。体験機会に恵まれた子と、そうでない子で、その後の学習意欲や問題解決能力に違いが出るということを聞いたことがあります。ただ、経済格差をなくすためにはどうすればいいか、、、と言ってもそんなに簡単に解決できることではないので、伊地知さんが『私は、経済的側面以外の解決方法の1つとして教育がその役割を担えると思っている。
また、我々大人が提案しなければならないのは、「お金がない状況でも、いかに子どもたちの成熟を支援するか」についての知恵ではないかと思う。』と言う考え、わたしもその通りだなと思います。伊地知さんが次世代の子どもたちに学校での学びの大切さを伝えるのであれば、わたしは、幼児教育の観点から思ったことを少し書きたいなと思います。
小学生以降に『学びに向かう力』を育てるにはまず幼児期に大切なのが、夢中になって遊ぶ中で失敗や困難を乗り越えたり、人やものなどと関わりを広げたりすること。それから、保護者を実際にみていて、経済的に大変なご家庭にいえることは、親が子どもと過ごす時間が少ないことが多いこと。親と子の関わり方によって、子どもの言語発達にも影響が出たり、認知能力、非認知能力にも影響すると言われています。
大切なのは、どんなに時間が短くても、親が子どもと過ごす時間をどう捉えるか、、、親の時間をどの程度子どもに向けられか、、、なのかなぁと。だから、経済格差がたとえあったとしても、これはお金だけの問題なの?お金がなくてもできる体験は沢山あるし、わたし自身、子どもたちにそうやって関わってきたから。習い事してるしてないとか、旅行に行ける行けないとか、大切なのは、お金があるかないかではないのではないかなぁと思いました。
伊地知さんのいう『大きい子ども』みたいな大人にはなりたくないなと思いました。(我が子にもなってほしくないなぁ)子どもたちは大人を見て育つのに。。純粋な子どもほど大人のこと本当によく見てる、と思うので。
なんだかまとまりのない文章になっちゃったけど。。
伊地知さんみたいに上手に文章書けない😅けど、なんか長文になってしまいました💦
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Mさんからの、ありがたい感想である。
この感想を読んだら、私も「何か書かなきゃ」と思ってしまった。以下、適当に書いてみたので、興味のある皆さんはぜひ最後まで立ち読みしていってください!笑

(以下の文章は本当は書くつもりはなかったんですけど、ちょっと書き出したら一気に手が動いてしまいました😅
またまた説教じみた「おじさん」構文になっていますので、ここから先へ足を踏み入れる方はどうか温かい目で読んでくださいませ。ここまで読んでくださっている皆さん、頼みましたよ?笑)

今回のMさんからいただいた感想の中に書かれている、「お金がなくてもできる体験は沢山ある(...)習い事してるしてないとか、旅行に行ける行けないとか、大切なのは、お金があるかないかではない」というのは、私も全く同じ意見である。そして、「子どもたちは大人を見て育つ、純粋な子どもほど大人のこと本当によく見てる」という点にも、私は同意する。

子どもに体験の格差が生まれてしまう要因には、お金の問題も確かにあるだろう。
それは私も十分承知しているつもりである。
私が育った家庭では、親からもらっていたお小遣いは高校卒業時まで毎月500円だった。(今は、これに関しては500円「しか」もらっていないと思うのか、それとも500円「も」もらっていると思うのかという各自の主観的な問題ではないかと私は思っている。)
ただ、これでは自分の買いたいものが到底買えなかったので、こちらも黙っている訳にはいかなかった。私は10歳ぐらいで親の言うことなんか一切聞かなくなったし、むしろ、まさにその後の「反抗期」の間に(仕方がなかったので)学校の成績を自分で上げることに努めた。その時期は、周りの同級生に負けたくないという気持ちもあったが、それよりは「学校でいい成績さえとってしまえば、親を黙らせることができて(かなり多額の)お金までもらうことができる」とわかっていたので、中学校や高校での定期テストや実力テストの学年順位を親に見せて(かなり厳しい条件ではあったが)歌舞伎町でキャッチをしている兄ちゃんのように無理矢理に交渉して親を説得して「お手当」をもらったこともある。(私の学生時代の勉強のエンジンはこんなにひねくれたものだったんだ、そう言えば。よい子のみんなは、真似しないでね笑)

既に先日の「次世代を担う『子供』たちへ」という文章をお読みになった方はご存知かもしれないが、その文章で私が言いたかったのは、最終的には「お金の問題というよりは、その人の生き方の問題」なんじゃないかということである。「自分たちでできることがまだあるかもしれないのに、私たち大人のほうが(子供たちよりも先に)『被害者意識』だけはご立派に持っている可能性があるんじゃないか?」と社会に対して問いたかったのである。(だって、私は今27歳だけど「この人は僕よりも年齢は上だけど、ちょっと(だいぶ大目に見ても)言い訳が多いんじゃないかな?」と思う人が多い気がするんだもん。もちろん、自分も人のことは言えないけど。)

こういうことは、誰かが社会に向かって言わないといけないと思う。
でも、もう私の周りにはネットでもリアルでも(本を書いている「偉い人」や一部の著名人を除いて)そういうことを社会に向かっていう人が1人もいなくなった。SNSを始めてここ2ヶ月ぐらい、私はXやnoteなどで他者の発信をかなりたくさん見てきたものの、匿名で発信している人の中で「この人の言葉はずっと拾っておきたい」と思えるような人の発信は1つもなかった。
残念ながら、これには例外はない。
(どんぐりの背比べと言えばそれまでだが、その人よりは未熟であろう自分のほうがむしろいい文章を書いているなと思ってしまうぐらいだった。)

だから、私は先日にあのような「おじさん」のような文章を書いてしまったのである。あれは、「こういうことを言おう」とか「こういう表現を使って書こう」と思って書いた文章じゃない。私の「手」が生き物のように勝手に動いて、「社会に向かって、今のうちにこれだけは言っておかなければ」と思うことを無意識で書いていたのである。(気づいたときにはもう文章は書き終わっていて、文章の初めからおかしい日本語がないかなどのチェックを始めていたというのが正直な感覚だった。)
自分でもう一度あの文章を読み直してみたが、よくあんな文章が書けたなと感心してしまうぐらいである(評論文としてはまだまだロジカルとは全然言えないけど)。
少なくとも、読んだ人のうちの何人かは「何が言いたいのかはよくわからないけど、何となく言いたいことはわかるような気がする」と思っていただけたんじゃないかなと思う。私は、そう思ってくれるような人が増えてくれたら嬉しいと思うし、今後ネット上で出会う人たちは私の文章を読んでいる「読者」に限られてくるのではないかと思っている。私は、ネット上で鋭い刃物のような言葉を使って他者を傷つけるような人間には用はないけど、真っ赤な口紅が似合う人を含んだ自分の文章の「読者」には用がある。残念なことに、赤い口紅をつけていても前者のような「呪いの言葉」を発する人間は存在する。私は、たとえそれが世間的にどれほど美人と評されるような人であったとしても、そのような人を「真っ赤な口紅が似合う人」とは呼ばないことにしている。当然だが、真っ赤な口紅を「ただ無駄につけている人」とそれが「似合う人」というものには雲泥の差があるのだ。

おっと、せっかく途中まで書いていた「お話」が口紅の色で赤くなってしまいそうだ。今のうちに話を元に戻しておこう。
体験の格差の話だった。
「体験」は、基本的には「自分で作り出すもの」である。少なくとも私はそう考えている。それを自分で生み出したり、創造したりすることはそんなに難しくない。保育園に預けられいている子供たちが砂場でお城を作ったり、色々な昆虫を捕まえてそれらに共通する働きや性質を発見したり、お風呂場で石鹸を使って大きなシャボン玉を手で作ったりなど、それらは知的好奇心に満ちた幼い子どもがよくやっていることである。それに習って、自分たちも(それが大人であれ子供であれ)「体験」の機会を自分たちで作っていけばよいのである。
問題は、それを自分たちでやっていこうとするような人が周りにいなかったり、「その人と一緒にいるとなんだか楽しくなる」ような人がいなかったりという、人間的なファクターである。逆も然りである。「一緒にいると面白い人」のそばにいれば、大抵のことは面白いし、一緒に食べるごはんも(余程のことがなければ)おいしくなり、愉快な時間を過ごすことができる。
それは「その場にどんな人間がいるか」という問題であり、決して「そこで何をするか」ということが問題になるのではない。
もっと言ってしまえば、それは、それぞれの家計が所有している金銭の量が問題になるのではないということである。(もちろん、少しは問題になると思うけど、そこまで大した問題にはならないと思う。)
私が、先日書いた文章の中で「経済的な側面以外での体験格差の解消方法も提案すべきである」といったのは、そういうことなのである。(私が「何でも金で解決できる」という思想が嫌いな理由の1つは、どうやらそのあたりに由来がありそうだ。)

もし「体験の格差は、お金の問題(経済格差)で生じている」ということを(例えばそういうことが書かれた本やそういう系のセミナー?で)主張されて、そのロジックだけでしか因果関係を考えることができない人がいるとしたら(そんな人はほどんどいないと思うけど)、それは「子供の体験格差の問題は、金銭の多寡の問題に帰し、金銭の適切な再分配によって完全に解消できる」としか推論できないぐらいに頭が悪くなってしまっているからである。私もここまで偉そうに書いているが、決して人事とは言えない。現代の私たちの社会は、全体として知性が不調に陥っていると言ってもいいだろう。それは、私たちの世界が自然にそういう人間を量産してしまうような環境に変貌を遂げつつあるということを示している。「私一人だけがよければそれでいい」と考える人間が増え続け、まだこの世に生み落とされていない「次世代」のことまで視野に入れて行動できる人間の頭数がどんどん減っているのである。私たちの見通せる時間の長さが長期間から短期間に移っていき、同時に私たちの関心事もそうなっているのかもしれない。聡明な眼科医がここで「何かひとことお願いします」と言われたら、間違いなく「現代が失明社会と言われるのは、実際にそうであるだけでなく、これがレトリックでもあるからなんです」と静かに述べるだろう。
皮肉にも、現実問題として私たちの視界や視野、時間間隔は、狭く、短くなりがちなのである。
(私の周りにはそんな人はいないが、一部の社会集団では「すぐに儲かる」とか「ワンクリックで稼げる」とか「すぐに勝てる投資」といったことに異常に関心があり、毎日毎日その両目を赤くして生きている人がいるらしい。)
だから、昔によく聞こえていた「あ、いいよ。それ、俺がやっておくから」というひとことを口に出すことができる人は最近では滅多にいないし、もうそんな声は身近な場所では簡単に聞くことができなくなってしまった。職場でも、「これは誰の仕事でもないんだけど、誰かがやらないと後で皆が困ってしまうようなグレーゾーンの仕事」を黙って片付けるような人間が指数関数的に少なくなった。それはまるでジョージ・オーエルの『1984』のディストピアの世界へと収束していくようなものであり、我々の社会は(おそらく日本だけでなく、世界的に)もうその世界に既に足を踏み入れてしまっている。(あ、この文章を読んでいる若いみなさんのうち、ジョージ・オーエルの『1984』をまだ読んでいない人がいたら必ず読んでおいてくださいね。アメリカとかだと「読んでいて当然」という雰囲気みたいなので。)

以前どこかにも書いたと思うのですが、最後に言いたかったのは「相手を思いやる、人に親切にする、困っている人がいたら助ける」という基本動作がやっぱり大切だと思うので、その意識だけはここで改めて(この文章を読んでいる人にはわざわざ言うまでもないことだと思うのですが、念のためもう一度)共有しておきましょう、ということでです。
(なんか、文章の終わり方の「歯切れ」が悪い気がするけど、まあいっか。。)

【今回、感想を送ってくれたMさんへ】
本当は、あなたの感想を紹介した直後からこの「お礼」の言葉を続けようと思ったんですけど、なぜか「こちらも何かお返しに書かなきゃな」と思って上記のような「おじさん」の文章を書いてしまいました😅
でも、心配はいりません!
私はお会いした女性には必ず「落ち着いてるね」「22歳ぐらいかと思った」「まだまだね❤️」という祝福の言葉を受け取っているので、実物は「おじさん」とは似ても似つかないのであります。おそらく、頭の中はだいぶ「おじさん」になっているかもしれませんが、、😅

(ということはさておき、)
Mさん、この度は感想を送ってくださり、ありがとうございました。

僕は、あなたからいただいた感想を読んでいるだけで、もう今週はエナジードリンクなんか飲む必要ないなって思いました!(実は普段はあんまり飲んでいないんですけど、これは比喩表現なのでご容赦ください😅)

あなたの「エナジードリンク」はいくら飲んでも減らないので(何回読んでもDMは消えないので)、明日以降でもし僕が「疲れちゃったな、、」って思ったときには、Mさんが送ってくださったDMを読見返してその度に元気をもらうことにします!
(あ、、直前の表現を訂正させてください。
正確には、「あなたの」じゃなくて「あなたからいただいた」エナジードリンクドリンクですね😅)

Mさんに感想をいただいたおかげで、なんだかやる気が出てきました!
僕は、これからもっと歯ごたえのある文章を書けるように頑張ります!

Mさん、今度一緒においしいもの食べに行きましょう!🍖
(あ、もしかしたら旦那さんの許可が必要かな、、?😅
僕は3人で一緒にお食事する形でも全然大丈夫ですよ!笑
もちろん、その場合も僕が持ちます!😎)

(2024-07-28)