伊地知のコモンズ=センス

共同体における「コモン」の役割について


昨日、「鼻と口」のことをWeb日記に書いたら、たくさんの「心配」メッセージをもらった。
そのメッセージからのご利益があったのか、昨日よりはだいぶマシになった。(ご心配をおかけした皆さん、どうもお騒がせしました。今度、一緒にインドカレーを食べましょう。)
口元の患部には、Hさんからもらった「ドルマイコーチ」の軟膏を「ぬりぬり」。すると、傷跡がちょっと薄くなった。(皆さん、この「ドルマイコーチ」はいいですよ!何かあったらぜひ使ってみてください!)
しかも、Hさんにはお惣菜と豚汁の「お裾分け」までもらっちゃった。「口角炎、ビタミンBを摂るといいらしいから」とのこと。
Hさん、ありがとう。ごはん、とてもおいしかったです。(またあのおかず作ってください。)

さて、話は変わり、ここから本題。
斎藤幸平の本を読んでいたら「コモン」というキーワードで思い出したことがあり、慌ててそれについてのメモ(らしきもの)を見直していた。
すると、いくつか引用(して記録した文章)が出てきた。
大崎正治という人が昔書いた文章で面白いものがあったのでここにも載せておきたい。近代化によってもたらされる“豊かさ"の意味について「三つの寓話」を通して書かれた文章である。

先進国において豊かさの指標として採用されている数値が“GNP"であることは、言うまでもない。「GNPの高い国が経済水準が高く、したがって幸福の度合も高い」というのである。
しかしGNPは、それを生み出す経済行為の、人間関係における社会的な質や倫理的な質はもちろん、エコロジー的観点から見た環境への影響すらも問わない。つまり、「GNPには貴賤も正邪もない」のである。このようなGNPが、はたして一般に言われるように、幸福の度合いを示す指標たり得るのだろうか。
ここでは、GNPという指標の真実の意味を示唆する三つの寓話を紹介することによって、「GNPの増大による生活水準の向上」という先進国中心的なドグマを批判しておこう。
第一の寓話は、かつて都留重人氏によって使われた“蚊のいる国といない国”である。私なりにそのストーリーを紹介すると、A国とB国の二つがあって、両国とも人口が同じで、技術や経済の水準も次の点を除いてまったく同じである。つまり、A国では蚊が多いのに対し、B国には蚊が皆無である。蚊がいると、蚊取線香がよく売れ、そのメーカーと販売業が登場して、その付加価値分だけA国のGNPがB国のそれを上回る。
しかし、蚊がいないB国での生活の方が国民にとって好ましいことは言うまでもない。つまりこの寓話は、公害や自然破壊を行なえば行なうほど、GNPが増加することを意味しているのである。
例えば公害が発生した場合、公害被害者の医療費、公害裁判にともなう弁護士の手数料や裁判費用、文書作成の印刷費、そして公害発生企業の公害対策費などが新たに必要になる。あるいは、水不足や水道水の汚れが進むとともに、水道料金が上がったり、飲料専用水がデパートやスーパーで石油よりも高い値段で販売される。その意味で、現代経済は「公害太り」しているのである。
第二の寓話は、「花見酒」という落語の一篇である。花見客に売る酒の入った酒樽を運ぶ八つぁんと熊さんの二人は、途中でその酒に手をつけた。ちゃんと金を払えばよいと考えて、同じ百円硬貨を二人の間で往ったり来たりさせて何回となく飲むうちに、花見の会場へ到着する前に樽を空にしてしまったという寓話である。
ふつう、この話は金儲けをふいにしてしまった二人を嘲笑する立場から解釈されている。しかし、見知らぬ他人に売れば金儲けができるが、仲良しの二人の間で飲みあうと金が増えないのはなぜだろうか。これを一般化すれば、同じ物資を消費しても、赤の他人との間で交換を行なえば収入(GNP)が増え、友人や仲間内、あるいは共同体のなかだけでやりとりしていてはGNPの増大には結びつかない、ということになる。
さらに第三の寓話はこうである。お手伝いさんとして男性Aのところで働くB子さんは、当然のこととして給料をもらっていた。しかし、二人はいつしか気を許しあって結婚することになり、B子さんはAさんの家計を預かるときに給料を受け取ることをやめた。この場合、「花見酒」の落語よりもっと直接的に、夫婦共同体がつくられるとGNPがかえって減少することを物語っている。
以上の三つの話を総合すると、GNPの増大は、自然環境や共同体的人間関係を破壊したあげく、それらの人工的代替物の生産やサービス取り引きを必要とさせることによって支えられていることがわかる。まさに、社会的分業の肥大的拡大のメカニズムが極限まで押し進められた社会がGNP大国なのだ。その意味で、GNP大国であるということは、むしろ恥ずべきことである。
他方、GNPの減少は、自然と人間や人間同士の関係が調和している状況に見合っているとも言える。だとすれば、むしろ「GNPのゼロ成長」こそが、充実した人間関係や自然との関係の「最大成長」を保証するものとも言えるだろう。

この文章を読んだのはたしか大学4年ぐらいのときで、何かの冊子で読んだ記憶がある。村上陽一郎などの知識人たちの書いた文章も同じ冊子に収録されていたきがするが、出典を記録するのを忘れてしまっていた。なぜこの部分だけをメモしていたのかわからないが、たぶん社会における共同体の「コモン」や「公共財」についての文章を書くときに使えそうだと判断したからだと思う。

共同体における「コモン」の役割について、いくつか書いてみたい。(と思ったが、眠くなったのでまた今度。)

(2025-05-01)