伊地知のコモンズ=センス

お知らせ


皆さま、いつも私の拙い文章をお読みいただき、ありがとうございます。
もう少しで、伊地知のホームページが完成します。
今後は自分の知らない人にも読まれる可能性があるため、今後私がブログblog.ijichi.comで書いていく文章のスタイルも変化するだろうと思います。(こればっかりは、自分の文章を書く「手」を信じるしかありません。)

これまでも何度か文章中に書いた記憶がありますが、基本的に私は10代向けの文章を書いていました。私は、年上の方にはこのようなブログで「説教」ができるほど、まだ「人間」ができあがっていない所存です。(そのような事情から、私の書いた文章内には、私が読んだ本からの引用やその他の「先人からの知恵」が極めて多くなっているんです。)
しかしながら、「私たちがそのテクストに触れると、その人間が属する社会自体が(そのテクストに触れないよりは)より集団的な叡智として機能するだろう」と判断したことは、発信していこうと考えています。

これまではネット上の人格を「家庭教師」として発言してきましたが、徐々にその人格は「ネット上の伊地知」という新しいものへと変化していくと思います。

私が今、ネット上で発言するときに気を付けようと思っていることは「言葉遣い」と「語り口」です。自分の知らない人に読まれても、「すみません。ちょっとだけ僕の話を聞いてください」とお願いし、情理を尽くして語り、自分の考え方(というよりは、私が先人たちから学んできたことのうちの「人間ならば、一度はこの考え方に触れる必要がある」と思ったこと)を伝える。もちろん、私のような27歳の若造が偉そうに書いているような文章を読んで「はい。私はあなたの意見に賛同します」と簡単に言ってもらえる可能性は(現時点では)限りなく少ない。でも、99.99%の人に私の書いたものがスルーされ、雨風に打たれたまま風化しそうになっても、0.01%の人に賛同されるなら私はそれで良いと考えています。
それらが話題にされたり、口にされたり、周りから「文章、読んだよ」と言われながら、私たちが集団として生きていく上での「叡智」に寄与しうると他者から判断されたときは「良い文章」だと判断し、そうでない評価を下されたものは「読むに値しない、価値のない文章」だと判断する。私は自分の書いた文章に対しては、そのように捉えるようにしています。(もちろん、文章をネット上にアップするときは、自分で読み直して「おもろいやん」と思ったものを選んでいるのですが、今文章を書きながら改めて考えると、やはりそう判断するのが適切なんじゃないかなと思います。)
私は「自分の書きたいこと」を書くこともありますが、それはこのブログのスパイス(というよりは「それ」にすらなれないかっらいもの)に過ぎず、本質的な「読み手への投げかけ」ではない場合が多いかもしれません。ですが、それらは(これは自分でもよくわかっていないのですが、)自分の歪んだフィルターを通過した者たちであり、意識的であれ無意識的であれ「何か必要があって発信している」というのは確かです。

と書いていたら、急にトイレに行きたくなってきました。この文章にもそろそろ「おしり」をだそうと思います。

とりあえず、言いたいのは「僕の文章を読んでください!」ということです。
そういう訳で、今まで私の文章を読んでくださっていた数十名の皆さん、どうぞ今後とも「私の文章」をよろしくお願いいたします。

(2025-05-10)