伊地知のコモンズ=センス

ここ一週間の振り返り


ここ何日か、思っていたよりもブログがまったく更新できないでいる。 
文章は毎日書いているのだが、アップロードする段階までなかなかいかないのである。
 
今までは「身内」に読んでもらうつもりで適当に書いていたテクストも、このブログを始めてからは少し(いや、かなり)緊張感をもって書くようになった。意識的にそうなったというよりも、そうならざるを得ない「空気」を私の文章を書く「手」が察知しているのである。先方は、私に身体を通じて「自分の知らない読者にも読んでもらえるようなテクストを書くべし。そうでないものは避けるべし」と訴えている。私のほうも「エゴイスティックで、アン・フレンドリーな、読みにくい」文章と思われるような書き方はなるべくしないように気を付けているつもりであるが、現時点ではそのほとんどが守られていない気がする。まだまだ「読み手とコミュニケーションが始まる」ような文章の域までは達していないため、今後も長い長い時間をかけて「修行」が必要そうである。 
5月の初めは「とりあえず、365個の"面白い話"を書いてしまおう。さらば、最低でも一年は乗り切れる。そうして、少し"余裕”が出てきて、さらにもう一年乗り切れるはずである。書くネタがない日も前の年に何を書いたかを思い出せば、大抵はそれで間に合わせられるだろうし、自分が書いた文章を読み直せばそこから派生した形のいろいろな面白い文章が書けるはずだ。あとは、自分の"手"に任せれば大丈夫だろう。私はそう確信している」というような、のらりくらりとしたことを短絡的に考えていた。
当然、今となってはそんな「のんきなこと」は言ってられず、毎日私はヒーヒー言いながら「おお忙し」である。(オーマイガ)
 
とにかく、今のイジチには文章を「書き溜める」時間こそあれど、それらの「埃」払い落して「アップロードする」時間がない。
 
自分で文章を書いて「人様」に読んでもらった経験がない人にはわからなかもしtれないが、書き手のほうはぎりぎりまで文章の「手直し」をするものなのである。

というような「愚痴」をこぼしても仕方ない。 
一旦、深呼吸してここ一週間の振り返りをしよう。先人の教えである「先ず、隗より始めよ」の実践演習である。 

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5/12(月) 
Yちゃんと一緒に焼肉。
いつも自炊しているイジチが今回のようなインドカレー以外の「ご馳走」を食べるなんてことは珍しいのだが、最近はありがたいことにお誘いがいっぱい来るようになった。
Yちゃん、いつもありがとう。
今日いただいた
木更津のブルーベリーグミとお城最中、すごくおいしかったです。あまりにおいしかったので、まるでリスのごとく「かっかっか」と平らげてしまいました。
あ、あと私がお城最中を「おしろさいちゅう」と読み間違えたときに、微笑みながら(爆笑しながら)正しい読み方を教えてくれてありがとう。あのまま誰からも教えてもらえなかったら、いつか「日本男児の恥さらし」としてどこかで吊し上げにされるところでした。
また今度会ったときも近況を聞かせてください。

5/13(火) 
Mさんにチキンのお裾分けをもらった。Mさん、いつもありがとうございます。今度、また一緒にインドカレー食べましょう。 
Mさんは、料理がすごく上手な大和なでしこである。彼女が料理教室を開いたら、私は即座に生徒となるであろう。
彼女からは今度また新しいレシピを教わる予定なので、楽しみである。

5/14(水) 
『希望格差社会、それから』(山田昌弘著、東洋経済新報社、2025年)を朝と夕方に読んだ。本書では日本における格差社会の形成過程や令和における格差の内実について書かれていたが、著者の見解によると日本の将来はかなり「暗い」。本書は約20年前に書かれた『希望格差社会』の続編にあたるが、私はこの本を読んで「努力なんかしても意味がない。やるだけ無駄だ」と言って諦める人や「この世は"無理ゲー"だから、どうやってこの社会のシステムを"ハック"しようか」といった「せこい」冷笑家、さらには「もう俺には失うものなんか何もない」と希望を捨てて「死なばもろとも」的な精神構造を己の思想の「鋳型」としているような人は、自ら進んでその当人自身を社会の最下層に釘付けにしているのではないかと感じた。
本書では「昭和、平成、令和における格差の変化」だけでなく、日本が今後抱える社会問題(格差の固定化、独り身の高齢者数の規模の拡大、その他もろもろ)についても言及されていた。私と同じ20代や次世代を担う10代の皆さんの中で、まだ本書を読んでいない方がいらっしゃったら一読するのをお勧めしたい。(同じ著者が20年前に書いた『希望格差社会』(筑摩書房、2004年)も一緒に読むといいかも。)

5/15(木) 
昔家庭教師を担当していたご家庭のFさんからブログの感想をもらった。(
なかなか感動的な内容だったので、今度このブログでも紹介したい。)
Mさんからまたお裾分けをもらった。今日はとんかつを頂いてしまった。なんと贅沢なこと。 
Mさん、いつもありがとうございます。
このおいしいとんかつの作り方、今度私にも教えてください。

5/16(金)
『地球・環境読本』を読んだ。この前ブログで引用だけ書いた大崎正治の文章が載っていた。この文章は以前からずっと探していたので、もちろん見つかったこと自体はよかったのだが、どうしても一つだけ(とても些細なことなんだけど)引っ掛かることがある。 
私がこの文章を数年前に読んだときは、たしか『技術と人間』というタイトルの青っぽい冊子に掲載されていた気がするんだけど、違ったのかしら。一応、今日読んだ『地球・環境読本』は文庫本だけでなく、文庫化される前の単行本も買ってあり、あと数日で届く予定である。 
この単行本は文庫本が出版された年よりも約20年前に書かれたみたいだから、自宅に届いたら本のカバーや背表紙を念の為に確認しておこう。

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という具合に一週間の記録をまとめ、自宅で手元の書類を確認していると何やら「怪しいハガキ」が出てきた。 
たしか、これは我が家の郵便受けに入っていたものである。 
中身を確認してみると、私の名前がきれいに印字してあり、その近くに「3万3千円を早く支払え」という命令文が記されているではないか。 
「誰だ、私宛てにこんな振り込め詐欺のような紙をよこしたのは」と思ってそのハガキの差出人を見る。 
げ。

 
日本人なら誰もが聞いたことがあるような某通信会社Sの社名が記されているではないか。 
慌てて、内容をもう一度確認する。 
「(ご利用停止のお知らせ)」 
げげ。
 
さらに、説明を読む。 
「お客さまのご利用料金につきましてご入金の確認ができておりませんので、本請求書をご持参の上、至急・・・」 
げげげ。 
さらに、決定的なダメ押しの一発が続く。 
「ご契約中の通信サービスを停止させていただきます」 
げげげのげ。 
これはもう、さすがに諦観の念を宿して「身銭を切る」しかなさそうである。 
と書いたが、私のほうは本当に身に覚えがない。 
そんなに高い買い物をした覚えもないし(ijichi.comというプレミアの箔が付いたドメインはクレジットカードで支払ったが)、通信料なら先月と変わらない。 
しばらく何事かと思いを巡らせて明細を確認すると、、、 
あ、そうか。
 
先月はPayPayにお金を「チャージ」していたんだった。 
今は、携帯代とPayPayの支払いが一緒にできるらしい。便利な世の中になったものである。 
だが、一つ言い訳をさせていただくと、私が先月その「チャージ」をしてしまったのは、迂闊にも「ボタンの押し間違い」をしてしまったからなのである。
 
そのときはちょうど歩きながら携帯電話をいじり、PayPayの画面を開いているときに「10000円をチャージする」というボタンを面白半分で押してしまった。「チャージしますか」という確認がくるのかなと思いきや、一瞬にして「チャージが完了しました!」という画面に変わってしまっていた。これでは、まるで昔ながらの「振り込め詐欺」ではないか。 
そのときは油断してうんうんと唸っていたら、いつの間にか請求が紙で来てしまった。「歩きスマホ」のバチが当たってしまったのかもしれない。 
「すぐに支払いをすれば大丈夫ですよ」という猶予を与えてくださるS社様さま、PayPay様さまである。
参りました。(当然、その後すぐに自宅から走ってコンビニに支払いに行った。) 

そう言えば、私の知り合いの経営者で、携帯電話をソフトバンクで一台、auで一台、ドコモで一台と「マルチ契約」している方がおられた。 
当方によれば「今は予測不能の時代だからっていうのもあるけど、ほら、どこかの携帯会社の通信が切れちゃったときに他の会社の携帯があればそれで大事なクライアントにいつでも連絡ができるからさ。とりあえず、今はドコでも使えそうなドコモをメインで使っているよ」とのことだった。 
私も見習って「ぜひとも、そのようにしたい!」と一瞬思ったのだが、その「お偉いさん」に比べて私の収入は百分の一、いや、一千分の一ぐらいしかないので、当分の間は某一社だけにお世話になる日が(長くながーく)続きそうである。

私の携帯電話よ、どうか「大事なとき」と「ピンチのとき」には通信が切れませんように。
という意味のない「お祈り」をしたら眠くなってしまったので、私も自分の携帯と一緒に「お休みモード」に入って「充電」するとしよう。

みなさん、お休みなさい。

(2025-05-17)